もかの家 エンディングストーリー
たかこさん(57歳)名古屋からご入居 元看護師
ある日、肺がんで余命半年から1年と宣告を受けたたかこさん。
延命治療はしたくないと考え病院には行かず、半年間は特に痛みも感じることなくいつも通りの毎日を過ごされます。日活の名プロデューサーだったお父様をはじめ親族は早くに他界しており天涯孤独の身。いつ死んでも怖くないと思いながら終の住処を探しておられました。
理想はライオンの家だった……と。「ライオンのおやつ」という小説に出てくるホスピスです。
(恥ずかしながら私たちはその小説もドラマも知りませんでした)
全国いろんなホスピスを探しても見つからず、あきらめかけた頃に「もかの家」に辿り着いたとおっしゃいます。
最初のメールをいただいた時には既に呼吸困難で、日ましに体調が悪くなり、苦しくて横になることもできずに不安と恐怖の夜を過ごされていたそうです。
咳が出て電話では話せないということで、少ない日々の中で何度もメールをやりとりしました。
そして、「友人が名古屋から大阪にまで送ってくれる!この日を逃すと体力的に辿り着けない」という日にご入居いただきました。
動けなかったはずのたかこさんがエントランスをうれしそうに「歩いて」入ってきました。
お部屋でも喜びで興奮されて、痛みも忘れて喋っておられるのが驚きでした。
ご一緒に過ごせる期間はあまり長くはありませんでしたが、いろんなお話ができました。
「もかの家に着いた時に、道路に出て手を降って待っているスタッフを見て天国に着いたと思った」「夢にまで見たもかの家に着いたからもう死んでもいいと思ったけれど、ここに着いたらもっと長生きしたくなった」「ここにはたくさんのマドンナがいる」「料理長が部屋まで来て、料理のリクエストを聞いてくれて涙があふれた」などたくさんのうれしいお言葉をいただきました。
飛行機がお好きだったたかこさんと近くの伊丹空港に出向くことができなかったことは残念でしたが、本当に喜んでいただきスタッフ一同感謝でいっぱいです。
空港近くの葬儀場でお別れをし、飛行機を見ながらたかこさんの笑顔を想いました。
Sさん 90歳代 豊中市 女性
長年にわたり豊中市にお住まいで貢献されておられた方です。
隣接するサービス付き高齢者向け住宅「柴原モカメゾン」が開設した当初からご入居されていて、いつも入居者やスタッフにも配慮されるみんなのお母さんのような存在でした。
旦那様が他界されてから一人暮らしが長く晩年に不安に感じておられる中、甥御さんがモカメゾンを見つけていただき見学にお越しいただきました。
まだお元気だったSさんでしたが「最期までモカにいれるのか?」と心配されていました。「もちろん最期の最後までいてください」というこちらの言葉に安心されて入居を決められ、「最期はモカで」といつも仰っていました。
そして、ある日脳梗塞で入院・治療することになりましたが、回復の見込みがなく「もかの家」に帰ってこられました。
「もかの家」入居後はご家族をはじめ、今までのご友人やモカメゾンのスタッフ、当時の訪問看護師など、たくさんの方がSさんに会いに来られ、特に懇意にされていた方には喜びのいい笑顔を見せておられました。
Sさんとのコミュニケーションは「手を握る」ことでした。意思確認が難しいときは、ご家族や介護スタッフとともに意思を汲み取り、Sさんの表情や様子を見ながらケアの選択を行いました。ご家族が、Sさんの好きなすずらんの香りのする柔軟剤や肌に塗るオイルを準備してくださったり、理学療法士とも相談しながら、お好きだったあんこを口に含んで少しでも味わっていただいたりと、Sさんの好きなことをできるだけ体験していただけるように寄り添いました。
そして最期の日に、モカメゾンのスタッフから、Sさんはアメージンググレイスという曲がお好きであることを聞きました。残り少ない時間のなか旅立つ準備として、Sさんが好きな曲を聴きながら旅立つことができたら幸せだろうなと思い、アメージンググレイスを枕元で流しました。看護師がそれまでにお化粧を施し、息を引き取られる前から綺麗なお顔をされていました。
ご家族は最期まで「準備万端だから安心して逝っていいよ」と声をかけられ、その安心感に包まれ、お好きな曲を聴きながら曲の最後には拍手が流れ、その拍手のなか穏やかに息を引き取られました。
これまでのモカメゾンの生活背景があったことで、Sさんをよく知るスタッフが一致団結し、素晴らしいお看取りができたと感じています。
入居者のご家族からお便りが届きました
Y . N 様 より
私の母を献身的に看護いただき大変感謝しています。
母にすい臓がんが見つかった時は、すでにステージ4で肺とリンパ節にも転移していました。
痛みと副作用に苦しみながら抗がん剤治療を数回受けたものの期待した効果が得られず、治療を続ける体力がなくなってしまいました。
母の苦しみを少しでも減らしてあげたいと家族で緩和ケアのホスピスを探していたところ、インターネットで「もかの家」に辿り着きました。
古民家造りの建物に家庭的で温かな看護ケアがコンセプトのもかの家は母の希望にも我々の理想にもピッタリで、当時入院していた病院から近い場所にあったことも移動時のリスクを最小限におさえることが可能になり、酸素吸入で生命維持していた母にとって幸運でした。
病院からもかの家まで移動する際にはその負担に耐えられるか病院ドクターから心配されるほど衰弱していた母でしたが、もかの家に着いて数日たつと「我が家のよう。病室と違って天国やわ。」と元気を取り戻しました。
病院ではコロナの影響もあって家族も面会が制限されていましたが、もかの家ではコロナ対策をした上でいつでも家族が患者の傍についていることができました。
我が家も、父、私と妹それぞれの家族に加え愛犬も時間を気にせず母と会い、同じ部屋に布団を敷いて泊まることもできました。
看護師さんは、母が快適に過ごせるようにスタッフさんやケアマネージャーさんと密に連携して丁寧に対応してくださり、そのお陰もあって母は入居して数日後には笑顔を見せるまで持ち直しました。
家族が食べているサンドイッチやアイスクリームをつまんだり、設備キッチンで妹が作った出来立てチャーハンを食べたり、カフェラテを飲んだり。
ヘアカットや入浴サービスを受けてとても気持ちよさそうな表情を見せる姿は、病院で弱っていたのとは別人のようでした。
がんの診断を受けて以降、母は精神的に不安定になることがありました。
痛みに襲われたり、薬で意識が朦朧としたり、筋肉が落ちて思うように体を動かせなかったりで、自分がこれからどうなってしまうのか考えたときにどうしようもない不安に襲われていたのだと思います。
そんな母を見て家族も不安が募っていました。
もかの家の看護師さんはそんな母と家族両方の話を聞いてくださり、心が癒されるようなアドバイスをくださいました。そもそも緩和ケアのホスピスを探したのは母のためであり、肉体的・精神的苦痛が少なく、安心して人生最期の時間を過ごして欲しいと思ったからでしたが、もかの家では母だけでなく家族の気持ちも支えていただきました。
看護師さんが「最期にこんないい家族が集まるのはお母さんが人生を頑張ったから」と母の人生を肯定してくださったのは、若くしてがんに侵されたことを嘆きがちな家族が救われた一言でした。
最期の数日、母は眉間の皺もなくゆっくり眠るように過ごしていました。
入居から18日目、家族が見守る中で旅立ちましたが、本人も家族も穏やかにその時間を迎えることができました。もかの家の理事長さん、看護師さん、料理長さん、事務長さん、従業員の皆さんやサービスを提供してくださった方々、そして医師の先生が、母の最期の時間に敬意を持って接してくださったお陰で心残りなく母を送り出すことができました。本当にありがとうございました。
特に24時間体制でケアをしてくださった看護師さんと、休日にも関わらず往診くださった先生に深く感謝申し上げます。
紹介動画のご案内
心療内科医で緩和ケア医のDr. Tosh/四宮敏章 先生がホスピス「もかの家」をご紹介くださいました。
尚、本動画に出てくる料金については改定されております。詳しくはお問い合わせください。